【ベルリンの壁崩壊25周年】ベルリンの壁崩壊は一人の勘違い男によって引き起こされた!?
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今日2014年11月9日はベルリンの壁崩壊25周年。ということでベルリンの壁崩壊について調べてみました。

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このベルリンの壁崩壊自体は言葉としては知っていましたが、その背景やストーリーは全然知りませんでした。

中学の頃確か習ったと思うのですが、勉強サボったせいで全然知らなかったww

そして調べた結果・・・

これほど人間味溢れたハートウォーミングな事実があったとは知りませんでした。

冷戦ですからね、戦争ですよ。戦争がこんなきっかけで解決するんだ!!wwって感じです。

 

こんなふうに中学の頃習っていたら歴史好きになってたかもですw

調べて良かったww

※ちなみに細かく調べてたらいくら時間があっても足りないので結構掻い摘んだ流れで書いてますが大きくは合ってると思います。

ということでこれを皆さんにシェアしたいと思います。

 

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ベルリンの壁崩壊は一人の勘違い男によって引き起こされた!?ハートウォーミングストーリー

25年前の今日、1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊しました。

 

30年もの間多くの人を苦しめたベルリンの壁、そのベルリンの壁崩壊は一人の負傷者も居ない、歴史的に見ても希な平和的解決。

 

その裏には1人の超勘違い男と2人のヒーローの存在がありました。

 

 

1949年
資本主義の西ドイツ・社会主義の東ドイツが誕生
この時点でルール工業地帯を要する西ドイツの方が豊かだった。
当然東ドイツから豊かさを求め豊かさを求め西へ流出しだす。

この時、は特に東西ベルリンの行き来は自由だったが、東ドイツ国民が西ドイツへ行くことはどんどん規制が強まっていった。

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そんな中、東ドイツに位置したベルリンもこれに合わせて東西に分かれた
東ドイツの中に西ベルリン・東ベルリンができる。

 

1961年
東ドイツ政府は西ベルリンを囲む約155kmの壁を作る。これがベルリンの壁

つまり東ドイツの中の西ベルリンが壁で囲まれる。

東ドイツから西ベルリンに入れれば飛行機などで西ドイツに入ることができる。

無断で壁を越えれば射殺されることも。
その為、ハンガリーを経由し西ドイツへ渡る人も増える。
東ドイツ国内では旅行や言論の自由を求め改革を求める大きなデモが起こる。政府も手がつけられないほどのデモ。

 

ベルリンの壁崩壊の日

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その結果東ドイツ内務省の中でも改革の議論が交わされるようになる。国民の旅行について新しい政令を考える。
百万人規模のデモが起きている中、国民が納得するような政令を出しデモを沈静化しなければ国家崩壊の危機。ということで議論は難航。
そこで、旅券局長ゲアハルト・ラウターがこの意見を出す。
「ビザとパスポートがあれば、東ドイツ国民が自由に外国へ行くことを認める。」つまり、外国旅行を完全自由に・出国ビザも直ぐに発給する。ということ。

ゲアハルト・ラウターは何故このような意見を出したのか。これを認めれば、東ドイツ国民が一気に西へ流れ込み人っ子一人いない状態になってしまうかもしれないのに…

実は、当時の東ドイツ国民はパスポートは国民の4人に1人の所持率。ビザ申請は何段階もあり、”申請”だけで数日かかる状態。
つまり政府は、ビザとパスポートがあれば旅行は認めるが、パスポートの所持率の低さ、ビザの取得し辛さを考え、これであれば、一気に流出することもなく、また、デモも沈静化できると考えたのです。

政府はこの政令案の最後に「報道機関への発表は明日午前4時以降に行う」という事を書き加える。

この政令案を共産党中央委員会へ持っていく。

歴史上最もハッピーな勘違いをした男シャボウスキーさん登場

共産党中央委員会ではこの政令案に対し「意義はない」と承認される

この委員会に遅れて登場したのが、ベルリンの壁崩壊の主役、世界の勘違い男ギュンター・シャボウスキー
彼はこの時、報道官に就任したばかりで、慣れない記者会見の準備で会議に遅れてしまいました。
このシャボウスキーは遅れたため詳しい内容を把握せずにこの旅行案の書類を受け取る。

その日の午後18時記者会見が始まる。

なんのとりとめもない発表を行い、シャボウスキーの会見が終わろうとしたところ、
記者の1人が質問
記者「国民の非難が殺到している出国規制について政府としてどう考えているか」
会議に遅れ内容を把握できていないシャボウスキーはこの質問に焦るwwwそして、その旅行案の書類を確認。その書類には当然、”外国旅行を無条件で認める。”と書かれてある。それを見て
シャボウスキー「東ドイツ国民は自由に外国旅行をすることを許可します。」

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

やっちゃったwwww喋っちゃったwwww
解禁前の情報をwwww

場内がどよめく中
記者「いつ発令されるのですか?」
その質問に動揺し、書類を再確認、その時目にとまったのは、”ビザは遅滞なく発給する”という文字。それを見て…

シャボウスキー「私が知る限りでは、今でしょう。東ドイツ国民は今すぐ全ての国境通過点からの出国が認められます。」

今でしょう!wwwwwww

やっちゃったwwwwwwww

会場どよめきww

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ちょうどそのころ、裏では・・・

この旅行案を考案したラウターに法務大臣から電話。

「この政令案は規制を緩め過ぎなので直ぐに見直して欲しい」
との通達。
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法令案の見直しが通達されるも時既に遅し・・・

とんでもない大ニュースで記者たちは当然直ぐにテレビでシャボウスキーの会見を報道

東ドイツ国民はこれを見てベルリンの壁に押し寄せる。
壁の検問所に突然大量の市民が押し寄せ大慌て。
検問所のイエガー中佐は焦る。
そしてイエガー中佐はは司令部へ指示を仰ぐが、その司令部も混乱中。
だが、増え続ける市民。

そこで遂にどうしようもなくなり、イエガー中佐決意。独自の判断を下す。

イエガー中佐の決意

「みんな出してやれ」

やばい、マジでかっこよすぎるイエガー中佐wwww

その日の23時半頃。
ベルリンの壁は実質開放される。
これが、ベルリンの壁崩壊の一連の流れです。

 

翌年の1990年に東西ドイツは統一される。
冷戦は集結。

 

シャボウスキーさん最高www最高ですwファンになりそうww

なんか戦争の終息のきっかけが単なる勘違いで引き起こされるって人間って面白い!w

 

愚か者の”愚か”の意味は、「頭の働きが鈍いさま。考えが足りないさま。ばかげているさま。未熟なさま。」です。

イメージ的に悪いイメージで捉えられがちですが、世の中に絶対はないですねw

 

これは実際のその時のシャボウスキーの会見画像

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そしてこれがシャボウスキーの記者会見映像。言葉はわかりませんが、25秒頃に頭を掻いて若干焦っているシーンが見て取れますwww

歴史って面白いですね。

裏でこんなストーリーがあるとはww

こういうストーリーを知ったあとに、ベルリンの壁崩壊の映像とか見ると面白いww

見え方が全然違います。やっぱり物語を知るって大切だとおもいました。


ということで今回はここまで!(´・ω・`)ノシ

 

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