先日、僕は始めて知覧に行ってきました。
まず、これだけは皆さんにお伝えしたいのですが、
人生に迷ったら知覧へ行け
という事です。
これは斎藤一人さんのお弟子さんの永松茂久さんという方の言葉です。
この意味が今回、知覧に行ったことで分かった気がしました。
僕自信が感じたこと、学んだことなど個人的な主観ではありますが、シェアしたいと思います。
▼目次
知覧特攻平和会館で見たもの
↓↓実際に知覧特攻平和会館で撮影した写真を少しご紹介します。
知覧特攻平和会館には、当時の特攻を志願して飛び立つときに家族や愛する人に残した遺書が多数展示されています。
また、当時の生活品や兵士の所持品、戦闘機などが展示されている資料館です。
中では約2時間程じっくりと遺書を読んでいましたが、「当然ながら泣けます。」
20前後の若者の思いはどうだったのか。
自分より後の日本に何を残したかったのか。
考えさせられました。
中でも特に涙した遺書を2通ご紹介致します。
藤井 一(ふじい はじめ) 少佐
藤井 一(ふじい はじめ) 少佐
冷え十二月の風の吹き荒ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母と共に殉国の血に燃ゆる父の意志に添つて,一足先きに父に殉じた哀れにも悲しい,然も笑つてゐる如く喜んで,母と共に消え去つた幼ひ命がいとほしい
父も近く御前達の後を追つて行けることだろう
嫌がらずに今度は父の暖ひ懐で,だつこして寝んねしようね
それまで泣かずに待つてゐて下さい
千惠子ちゃんが泣いたらよく御守しなさい
では暫く左様なら
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立てゝ御土産にして参ります。
では,一子ちやんも,千惠子ちやんもそれまで待って頂戴。
藤井 一(ふじい はじめ) 少佐は、教育係だったそうです。
自分の教え子が特攻で死にゆく中、「お前たちだけに行かせはせん。自分も必ず」ということで、ある時、特攻に志願しますが、運転技術は専門ではないため、中々許可が降りない。
落ちては再志願、落ちては再志願を繰り返していたそうです。
藤井少佐は結婚しており、奥さんと娘さんがいたそうです。
その藤井少佐の特攻への熱意を感じ取った奥さんさは、「私達が居たのでは、この世に未練が残る。」ということで、娘と共に荒川へ身投げ。
それを知った軍が考慮し、藤井少佐の特攻の許可が降りたそうです。
穴澤 利夫(あなざわ としお) 大尉
これは実際に知覧特攻記念会館に展示されている遺書です。
英霊である穴澤 利夫大尉が婚約者の智恵子さんに宛てた遺書です。
少し長いのですが、僕が個人的に一番響いたのが、この一説。
「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない」
「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面を見出すこと」
「あなたは,今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には,もう存在しない」
これから特攻に行く自分のことよりも、愛する奥さんへ宛てた思いが力強く綴られています。
でも最後にはこう記されています。
智恵子 会ひ度い(あいたい),話し度い(はなしたい),無性に。
今後は明るく朗(ほが)らかに。自分も負けずに,朗(ほが)らかに笑って征(ゆ)く。
会う。話す。当たり前の事が当たり前に出来ない。
せつなすぎます。
こんな辛い思いをしてでも特攻へ志願したこの方々が望む日本の姿、守りたかった日本人の姿とはどのようなものなのでしょう。
鹿児島県南九州市知覧町郡17881
富屋旅館での女将の講話
そんな知覧平和記念会館ですが、鳥濱トメさんという方の事も展示されていました。
この方は、「特攻の母」と呼ばれ、知覧の地で食堂を営んでいた方です。
若い特攻兵が愛した食堂を切り盛りされていた方です。
そんな鳥濱トメさんの意志を継ぎ、現在では富屋旅館3代目の女将鳥濱初代さんが講話をされています。
鳥濱初代さんの講話を聞ける貴重な機会に恵まれました。
約1時間半程の講話でしたが、その中で僕が学んだことが1つあります。
それは、
命を輝かせる方法
です。
命を輝かせる???
よくわからない方も多いと思います。
何故、特攻によって英霊となった方々はあれほどまでに輝いているのか。(※白黒の写真でしか見れないですが)
白黒の当時の写真を見ても、なんとなくオーラというか、輝いて見えませんか?
何故、特攻した英霊達は輝いているのか
なぜ、この特攻を志願した英霊たちは輝いているのか。
家族環境や、既婚・未婚など様々な想いや状況は人それぞれ違いますが、それでも皆輝いています。
何故か。
その理由は・・・
誰かの為に、何かのために、自分の命を燃やしているからです。
富屋旅館 女将の講話の中でこんな話がありました。
「誰かの為に生きようと行動したその瞬間、命・瞳が輝き出す」
これを聞いた時、特攻の方々のオーラや輝きの理由がわかった気がしました。
そして、自分も自分の命を輝かせたい。
そう思いました。
これまで、なんとなく、自分自身も、自分の能力を世の中のために活かしたいと思っていましたが、それを、女将の講話の中で得た「命を輝かせる」という言葉によって「スッ」と腑に落ちた感覚があります。
富屋旅館の館内
せっかくなので富屋旅館の館内を一部ご紹介致します。
↓↓これが内側からみた玄関です。歴史を感じます。
↓↓ここは実際に、特攻志願した青年たちが飲み食いしていた広間です。
↓↓この食事には学びが沢山詰まっています。
↓↓富屋旅館の朝食
↓↓富屋旅館の夕食1日目
↓↓富屋旅館の夕食2日目
↓↓富屋旅館よこの富屋食堂
↓↓これは食事の広間の縁側です。
↓↓宿泊した方の感想や、女将の話を聞いた方の感想がこのノートに綴られています。なんと現在13冊目です。
富屋旅館の宿泊の感想ですが、まず、料理がめちゃくちゃ美味しいです。
何品出てくるんだってくらいに。
朝食も品数が多く、夜は更に多い。
料理でも純粋に旅館として満足ですし、更にプラスアルファで学びもある。
こんな旅館は他にありません。
鹿児島県南九州市知覧町郡5−5
オススメです。
まず特攻の英霊に感謝。特攻の意味とは
今回、知覧特攻平和会館や、女将の講話など様々な経験から、多くの事を学びました。
少し調べると出てくるのですが様々な議論があります。
特攻は間違っているのではないか
本当に特攻に意味があったのか
など。
今回の経験が無ければ、もしかすると僕はこの上記で挙げた2つの意見に流されていたのかもしれません。
なぜなら上記2つの意見に関して、正しいと言わざる終えない側面もある可能性が有るためです。
しかし、今回の知覧の経験によって、議論はあるとしても、
「その前に言わなければいけないことが有るだろう。」
それを学びました。
その言葉は
「有難うございます。」
です。
その理由は、何故自分が生きているか。という点に帰結します。
今の僕らが生きて居る理由、今の日本が有る理由は、過去の出来事によって繋がってきた歴史の結果です。
特攻という歴史によって今の日本が有り、今あなたがあなたとして生きて居るのです。
僕個人的には、特攻に関して、戦略的に良かったのか、悪かったのかという議論自体は有っていいと思います。
人それぞれ考え方や思想は違いますから。
ですが、まず、その前にどのような議論が有ったとしてもその前に、
「有難う」が無ければその議論そのものは破綻しています。
なぜなら、良くも悪くも特攻という歴史が無ければ、これから議論をしたいあなた自身の存在も無かったかもしれなかった為です。
特攻という歴史がなければ、あなたの存在は勿論、今の日本の歴史だって大きく異なっていたかもしれません。
今、自分が生きている日本があり、自分たちの生活があります。
今は、過去の積み重ねです。
その過去の歴史の中に、特攻に志願した英霊達が居て、その英霊達は、
「もっと日本が良くなるように」
と自分の命を掛けて特攻をしてくれたんです。
現代の私達のために命を掛けて特攻を志願してくれたんです。
ここに感謝が無ければ、今の自分の命を否定することに繋がります。
この意味、分かりますでしょうか?
これは精神論・感情論の話ではなく、論理的な話です。
だからまず、特攻の皆さんに感謝をしましょう。
話はそれからです。
特攻を志願した英霊達は秀才だった
特攻を志願した英霊達がどのような思いで特攻に志願したのか。
その理由を知ると、英霊達がなぜ、アレほど輝いているのか。
その理由が分かります。
そもそも、特攻に志願して、戦闘機パイロットになるには、多種多様な計器を操ることが出来る事が必須です。
現代でも、航空自衛隊に入隊し、戦闘機パイロットになるには、高度な知識と技術が必要。
その為、そもそも高い学力があり、秀才である必要があります。
戦時中の日本でもそこは変わりません。
つまり、特攻に志願した青年たちは皆、エリート中のエリートなのです。
今の現代の議論の多くは、
本当に特攻は意味があったのか。や、酷いものだと、特攻した青年たち犬死だったのでは?などという議論があります。
では、当時、特攻に志願した青年たちはどのような思いだったのでしょうか。
皆、エリートです。
恐らく、日本の戦況や、相手の戦力・軍艦の防御力等など、全てを理解していたと考えられます。
僕が、今回、知覧特攻平和会館で見た遺書の多くの中には、「お国のために」という喜びの言葉が共通して多く綴られていました。
では、「お国のために」と死ねることが本当に嬉しかったのでしょうか。
これは僕個人的な解釈ですが
「それは違う」
と思います。
エリートの特攻志願者。
今の日本、これからの日本、家族の状況等全てを理解した上で、
未来の日本のために、
家族のために、
愛する人のために
行かざる終えない
だから自分が犠牲となる。
という思いだったのではないのではないでしょうか。
そう思う理由として、「お国のために」と言いつつも、知覧特攻平和会館には、自分の辛い思い、寂しい思いが遺書として多く残されているのです。
もしかすると中には、「本当にお国のために」と喜んで行った英霊も居るかもしれません。
ですが、それは個人的に本当にごくごく一部だと思います。
究極の利他の心です。
このような英霊達に、まず「有難う」と言わずしてなんと言いましょう。
鳥濱トメさんの思い。英霊を英霊として伝えていきたい
そんな、特攻を志願した青年たちを愛し、戦ってきたトメさん。
トメさんの思いを個人的に解釈すると
「英霊を英霊として伝えていきたい」
という思いが最も強いのではないかと思います。
本当に直に、若干20歳前後の青年たちに食事を提供し、相談を聞き、愛してきたトメさん。
特攻を志願した青年たちの為に、死に物狂いで当時を戦って来たトメさん。
今、「特攻は間違い?」「特攻は効果なし?」などという議論が多くあります。
トメさんの立場に立って考えてみると、多分、”居ても立ってもいられない”のではないかと思います。
絶対に、何としてでも、20前後で亡くなった青年たちの栄誉を守りたいはずです。
繰り返さない為には、特攻あり?意味無し?という議論は一部必要かもしれません。
しかし、まずは、その前に、その当時の人々の立場に立ってみませんか?
まず、「有難う」と言ってみませんか?
見るべき特攻映画
今回、知覧に行った後、想像以上に、大きなものが心の中に残り、自宅へ戻ると、すぐに映画を見ました。
その映画は「俺は、君のためにこそ死ににいく」です。
これは、当時の富屋食堂を切りもししてきた鳥濱トメさん役(岸惠子)さん主演の映画です。
石原慎太郎さんが、鳥濱トメさんがご存命の時に、実際に直に聞いた話等に基づいた映画です。
この映画を見て、知覧特攻平和会館に展示されている遺書だけでは汲み取りきれなかった、当時の特攻志願した青年達(英霊)の思いや感情を理解することが出来ました。
ちなみに、石原慎太郎さんが国会議員だった時にトメさんが亡くなられたそうで、当時、鳥濱トメさんを「国民栄誉賞」に推薦されたそうです。
それくらい、深い感銘を受けた様です。
まとめ
今回、知覧に行ったことで様々な学びがありました。
冒頭に綴った永松茂久さんの言葉、
「人生に迷ったら知覧へ行け」
この言葉はその通りでした。
なんというか、自分のこれから行きていく上で、本当に大切な事を学べた様な気がします。
本当に行って良かったと思いましたし、一人でも多くの方が、知覧特攻平和会館や富屋旅館の女将の話を聞いて、何か自分なりに感じ得られる人が増えれば良いなと思います。
今の自分に疑問を持っている人
人生に迷っている人
何をしたら良いかわからない
志が分からない
生きている意味が分からない
このような方は一度、知覧へ行かれてみてください。
迷っている人程、気付きが得られるのではないかと思います。